野口健がイモトアヤコのエベレスト断念に思うこと
野口「イモトさんの場合は、すごいサポートチームを作ってやってるし、超一流のシェルパと超一流の日本のガイドがついているので、完璧なんです。
やれることはすべてやっている。ただ、雪崩や山頂付近の悪天候となると、どんなに一流でも難しい。
彼女が自分の意志で『死ぬかもしれないけど行きたい』というならいいと思うんですけど、彼女は仕事なのでね」— 中略 —
日本中から『頑張れ』と期待されている。
番組からも『大丈夫です』と言われている。
なんとかやってきたし、自分が頑張ればなんとかなるかもしれない。
今まで経験もないのに、あれだけできるのはすごいと思います。
彼女の精神的タフさも含めて。
ただ、エベレストは本当に死にます。
ほかの山とは違う。
もし仮にイモトさんが遭難した、もう誰も助けてくれないし、助けられない。
そうなったときに納得できるかってことですね。
自分の思いで来たんだから、これでよかったんだと思えるか、やっぱりあの仕事受けなきゃよかったって思うのか。
それで彼女が死ぬときに本望だと思わなければ、不幸な死に方ですよね」
仮にイモトアヤコがエベレスト事故で死んだとする。
番組当初のコンセプトはそんな危険なことではなかった。
しかし、視聴率を得るために番組サイドはどんどん過剰な要求をしていく。
そしてそれを求める視聴者。
イモトアヤコが死んだ時、視聴者は「何で登らせたんだ」と番組サイドを責めるだろう。
イモトアヤコがエベレストに登るよう「間接的に煽った」のは他ならぬ視聴者だと言うのに。
視聴者は責任を負わない。
だからこそ番組サイド、そしてコンテンツ供給者であるイモトアヤコには流されない意思を持って欲しいものだ。
コンテンツを供給する側として考えることがあったので引用。
何を隠そう、私もちょっと前の生放送で似たようなシーンがあった。
「もっと派手に、盛大に、お馬鹿なことやって!」
これは「キッカケ」
ここから一気に要求が「エスカレート」していくことを知っていた。
そしてその要求は終わりを知らない。
だから、私は自分でブレーキをかけなきゃいけない。
ブレーキをかけると一時的に視聴者の期待を裏切ることになる。
だけど、長期的に見た時、ブレーキをかけないと無理が生じるのを私は知っていた。
かといってちゃんと説明しなければ信用を失うことになる。
幸い、私にはブログという場がある。
今後も自分の気持ち、思いは積極的に発信いくつもりだ。
そうすることで「何故あの時はやらなかったのか」というのが少しでも伝われば幸いだ。