心の病と偏見について 西川公平
少し前の話ですが、とある議員が医療機関で「会計が高い」「待たせすぎだ」などと怒鳴り散らし、自身のブログに書き込み炎上という事件がありました。
これはまあ、私からすると躁症状に見えるわけです。炎上したのは多くの人が異常だと思ったからであって、異常とは異常な不見識・非常識、つまりあの行動を本人の性格・人格由来だと思ったわけです。
残念ながらどのようなメディアも「躁転してるんじゃないかな?」とは言わない。
可能性を疑ってみることすら無い。で、本人は自死される。
自死されるとブログなどでは、チラホラと躁鬱を疑う意見が出ているようですが、もちろんそれではもう死んでいるわけですから遅すぎます。躁転なんて線香花火のように短い時期だけで、その前後には長々と鬱が横たわっています。
躁から鬱へ、あるいは鬱から躁へのスイッチの時期が最も自死しやすいタイミングです。最近だと、どこかのバス会社で遠足の手配漏れがあったとかですかね。
「ありえない、ありえない」、「なんてクズ人間だ」、「会社はオカシイ」と騒ぎ立てるだけでなく、ちょっとそこに病を想像してみませんか?
うつ病になれば、貴方自身がバスの手配をできないまま放置するようになるわけですから。一方で、蔑称としても精神科の病名は使われます。あいつは発達障害だとか、人格障害だとか、つまり頭がオカシイんだと言わんばかりに病名が乱発されます。
「私はあの人が嫌いだ」と言えば良いだけなのに、病名をつけてしまいます。
私自身偏見を持っていることを否定出来ない。
何故なら「なってしまった後」の人しか見たことが無いからだ。
そう考えると対処療法より予防の方が大事なことがわかる。
ならないように、どうやったら自分のこころと付き合えるか。
それを常日頃から考えていく必要があるのかもしれない。
そんなわけでゲームは楽しくやるのが一番というのが私の持論だ。